第二期塾生最終レポート

西田敏典 匿名 岡﨑靖典 山本英幸 匿名


西田敏典

 約7カ月間に渡りこの自啓共創塾ではたくさんの人達と対話をしてきました。たくさんの人達とは、この国を作ってきた歴史上の偉人達、自分が全く知らなかった専門分野を研究している方々、そしてこのままではいけないのではないかと真剣に日本の未来を考えている塾長・塾頭・塾生の皆さんでした。振り返ってみると常に比較対象としていたのは日本と海外諸国、日本人と外国人、塾生の皆さんの考え方と自分の考え方だった気がします。偉人達の言動を学ぶにつれて、度々思う事がありました。それは皆「あたりまえのこと」を考え、実践してきた結果が歴史になっているという事実でした。もしかすると私の考える「あたりまえ」は外国の方にはあたりまえではないのかもしれません。しかし、少なくとも私にとってはあたりまえのことであると思ったと同時に、その考えに共感できる自分自身に誇りを感じました。これが自国の文化であり、自分の価値観のルーツだったのだなと確信した瞬間でした。

 

 これから私達は国内外で助長されつつある分断と向き合っていかなければなりません。分断の解決策は対立ではなく融和しかないと考えています。融和とはまさに日本が長い歴史の中で作り上げてきた価値観そのものであり、それをあたりまえだと感じることが出来る私自身であるとも言えます。

 

 視点を足元に戻しますと、私の仕事である経営は諸外国から見た時にしばしば日本型経営と表現されることがあります。私の考えでは日本型経営は契約や規約のみに判断基準が絞られるのではなく、こと人と人との繋がりに関しては諸外国と比較すると有機的で寛容性が高いのが特徴です。これは日本の法律によるところの独自性もあるとは思いますが、経営者と従業員の大半が日本人であることによって長きにわたり共通の価値観が維持されてきた影響も大きいと思います。私はこの経営の根本は変えずに海外で展開したいと考えています。文化や価値観の違う者同士がお互いのそれらを認め合い、共通の価値観を作り上げていくことが出来れば、事業を通じて真の国際化に少しでも近づけることを信じて。

 

 最後になりますが、自啓共創塾の運営にあたり尽力いただいたスタッフの皆様、共に学び多くの気付きを与えていただいた塾生の皆様に心よりお礼申し上げます。


匿名

これからの私自身の仕事への取組み方について

 

(1)はじめに

  改めて自啓共創塾に参加して感じたことは、過去も現在も未来も、自分が見えていないところで色々な変化(良い変化も悪い変化も含む)があり、その変化に対応していくことが求められていることです。

  その変化に気づき対応していくためには、「何が本質的な課題か」「どういった解決策が有効か」を考え続けていくことが必要ですが、今の日本の教育では、本質的な問題や課題ではなく「暗記」がメインとなっているのが実態です。

そこで、「そういった問題を改善していくために、自分がこれから取り組んでいけることは何か」として、「自分の会社で働いている人が、本質的な課題をとらえて解決策を考え続けることができる」状態を作っていくことを目指していきたいです。

 

(2)これからの私自身の仕事への取組み方について

  「変化に気づき対応していくために、本質的な課題や解決策を考え続けていくこと」を目指すにあたって、今私の勤める企業で足りていないことがあります。今の私の勤める企業では、「業務上のミスをなくし、業務を標準化すること」を目的に、細分化された作業をこなすことが日々求められています。そのこと自体は、お客さまにいつでもどこでも均一のサービスを提供する、という観点では合理的ですが、じわじわと「考える力」が無くなっていくというデメリットもあります。

そこで、西郷隆盛の生きざまを支えた「郷中教育の詮議」を参考に、「課題を討議しながら解決策を模索し、その解決策を実行に移す」というプロセスを、もっと日々の業務において採用し実践していくことが必要だと考えます。

具体的なアクションとして、以下の2つを実践していきたいです。

① 自身の部署で、メンバーと課題を討議する場を定期的に設けること

② 自分が異動しても、そういった取組みをやり続けること

①についての具体的な内容ですが、四半期に一回でよいので、メンバーを集め、過去の検討時から起きている変化は何か、また、そこから出てくる課題は何か、という観点で議論をするというものです。

また、②としてあえて記載しましたが、単発ではなく「やり続けること」を目指します。

 

(3)さいごに

  今回自啓共創塾に参加し、改めて「言葉にすること」の重要性を感じています。具体的には、ふとした誰かの疑問や意見が、実は私には全く想像できていない内容がたくさんありました。そういった体験を、自分だけではなく周囲の人も巻き込んでいければ、すごく楽しい社会になるのではないか、と思っています。みなさま、ありがとうございました。

 


岡﨑靖典

 この塾を受講して、もっとも感じたことは、いかに私たちが日本のこころを知らないか、あるいは、学んでこなかったかということである。

 

 私は、学校では受験教育を受けて育ってきたが、両親は昭和一桁だったから、家庭では戦前ふうの躾を受けた。だから、自分の子供にも同じようなことを言っていることがある。家庭の中に、戦前の雰囲気というものが残っていた。ただ、そういう家庭に育った私ですら、日本のこころについて、今回初めて知るところが多かったのである。

 

 教育は、知識だけではなく、こころも含む人格全体を育成するもののはずである。ところが、戦後教育は、学校における知識と問題処理能力の形成に特化してしまい、家庭や地域(薩摩の郷中教育のような)が本来持っていた教育機能は低下してしまった。

しかも、限界集落と言われるように地域自体が高齢化、過疎化の中で衰退している。地域社会が消滅すれば、そこに生きた人々の歴史も文化も、何よりもふるさとが消滅してしまう。

 

 こうして、時を経るほど、日本のこころはますます希薄化し、アイデンティティも誇りも失われていく。

 

 戦後日本が所与としてきた環境が厳しく変化している中、この国が、次々立ち現れてくる問題(と思われるもの)を前に、海外に範を求めて右往左往し続けているのも、我々の先人達が紡いできた歴史とこころによりどころがあるにもかかわらず、私たちがその不易の部分を見失い、自信を失っているからだと思う。

 

 私は地方公務員として、次世代の我が国を担う子供達が、日本がどのような国で、この国に住まう人々がどのようなこころを持つ人々であるのかを知り、この国と自分自身に誇りを持てるようにしていきたい。

 

 そのためには、初等教育の段階から、少なくとも自分たちのふるさとについて学ぶことである。和歌山県では、「わかやま何でも帳」という、地理や歴史、文化、言葉、先人など、郷土について総合的に学べる副読本を作って小学校から活用している。こうした取組をさらに拡充していくことにより、ふるさとのことを知り、ふるさとに愛着と誇りを持つ子供達を育てていきたい。また、小学校から「素読」のようなことができないか。意味は分からなくとも、日本語のリズムや語感に親しんでいくことも重要だと思う。

 

 次に、地域社会を守っていくことも必要である。今、祭りもできなくなる集落が多い。また、地域の共同作業の担い手もない。これは決して田舎だけの問題ではなく、都会の団地やニュータウンでも見られることである。そうした地域に、地域の担い手になってくれる若い人達が移住してくれるようにしていかなければならないし、生業を成り立たせるようにしていくことも必要である。

 

 私自身、子の親である。13回目のグループ討議で、親である自分達がいかに子供達に自らの背中を見せていくことができるのかが大事だという話をした。両親から受け継いだものや私が学んだものを、子供達に受け渡していきたいと思う。


山本英幸

和魂あふれる日本社会の実現

 

塾の感想:当初、自啓共創塾には、何か政策や施策などを立案していく際に、日本の方針となるような本質的な考え方について学びたいと思い、参加させて頂いた。そして、この塾を通して、「日本のこころ」(自己犠牲を厭わず、他者を思いやる気持ちや感性を重視する考え方)が日本の方針となることを実感した。特に、この「日本のこころ」は、個々の政策の専門知識だけでは、乗り越えることができないような日本の課題に対処していく際に非常に重要になってくるものである。例えば、個々の政策の中には、メリット・デメリットだけでは、優劣は決められない場合があるが、このようなときに、それらの政策が「日本のこころ」に沿ったものになっているかどうかという観点で考えることで、必要な政策を決められる。

 

日本の現状:現代の日本は、日本の正月などの年中行事の由来などが教えられることがなく、日本の伝統や文化について学ぶ機会が少ない。そして、道徳について学ぶ機会も少なく、それが故に、西洋的な物質中心主義や利己的な心が浸透している。例えば、昨今の政治において、選挙偏重型の政策が多くなっており、一貫した国家理念の追求ができていない。また、小学校から大学までの教育方法も、専門知識重視の教育方法が主な手法となっており、「解は一つである」ことを教える教育となっている。このままでは、短期的金銭重視の価値観が蔓延ってしまい、利他的な精神を持つ日本の伝統や文化が廃れていってしまう。

 

問題:本来の日本の伝統や文化は、他者への思いやりに溢れており、公益重視の価値観である。しかし、このような価値観が広く国民に浸透していない原因としては、①学校教育で「日本の心」を学ぶ機会がない。②知識詰め込み型の教育が重視されていることが背景にあると考える。これにより、日本人は答えは一つしかないと考え、そして、日本の心をそもそも学ぶ機会がないので、日頃のテレビから物質的豊かさを目の当たりにしているが故に、物質中心的価値観を絶対視してしまっているのではないだろうか。

 

何をしていくべきか:このような状況から脱却していくためには、私個人ができる活動として、短期的なものと中長期的なものを述べる。短期的な活動としては、日々の業務において、日本のこころを意識しながら、各種政策や施策の立案に取り組んでいく。また、職場の同僚に日本の魅力を伝えていく。日頃の生活において、日本の魅力を積極的に考えようと思わないと、日本の魅力を意識することはあまりない。したがって、日本の魅力を自らが情報発信をして、日本の魅力を考えるきっかけを作る。

 中長期的な活動としては、道徳塾を設立し、和魂を含む道徳教育を若者に充実させていく。小中高の学校教育で、道徳教育を充実させていくことは重要なことであるが、政治家あるいは文部科学省の役人となり、制度を変えていく必要があるため、実現可能性の観点からはハードルが高い。したがって、現実的には、道徳塾を民間組織として設立し、若者に道徳教育を充実させていくことが方法として考えられる。そこでの教育方針としては、道徳教育や「世のため、人のため」や「他者のため」という和魂を養うとともに、それが座学のみにとどまらないように、ボランティアなどの様々な課外活動を通して、知行合一を意識した活動となるようにする。

 


匿名

「日本人はどこからやってきて、どこにむかおうとしているのか」「なぜ我々日本人の文化や思考は独特なのか。この独特の文化や思考はどこから生まれたのか」という多くの日本人が感じるであろう疑問について、私自身も明快な答えを持ち合わせていなかった。今回の自啓共創塾の中で「日本のこころ」というものを示していただき、この疑問に対して曲がりなりにも自分自身の考えを持つことができたように思う。

 

 我々の「日本のこころ」は決して、自らの親や教師からだけ学んだのではなく、脈々と先人から積み上げられてきたもの、遺伝子の中に息づいているもの、である。時にそれは、幕末から明治維新のエネルギーに満ち溢れた躍動感として現れ、また時には東日本大震災の際の、利他となる行いに現れた。

 

 「日本のこころ」では、言い切らない・伝えきらない、余韻・余白の中に美しさを見出す。一方でそれは、いい面ばかりではなく、文化継承の危機を招きかねない。さらには、伝えきらなくとも意思疎通ができていることを求め、下手をすると同調圧力や一部過激派の暴走というリスクも抱える。しっかりとその両面があることを理解する必要がある。

 

 話題提供では様々な気づきをいただいたが、その中でも特に印象的だったお話が2つある。一つはマンガのお話。数多くのアニメ・マンガが人の使命や目指すべき姿について、心に響く言葉で語りかけてくることに関して、作者の方は、最初から全体ストーリーを決めてから書いているのだろうか。最初から決めていたのだとすると、その構想の深さに驚くばかりである。最初から決めていないのだとすると、それは作者の心に宿る「日本のこころ」が自然と自己犠牲・利他・あきらめない心等のストーリーに引き込み、登場人物に語らせているのではないか。Silversnow様は「一定程度売れると作者は好き勝手やる」とおっしゃっていたが、その好き勝手が、ほとんど「日本のこころ」に通じるものである気がしてならない。さらに邪推だが、現代においてはマズローの欲求5段階説の生理的欲求および安全欲求が満たされると、「日本のこころ」が発動しやすくなるのかもしれない(過去は、生理的欲求が満たされなくとも「日本のこころ」は発動していたが・・・)。

 

 もう一つは剣道におけるガッツポーズのお話。個人的には野球(大学野球・社会人野球)等の試合後のお互いの検討を称えあうエール交換が大変好きで、これは勝敗を超えた相手への敬意の現れであり、「日本のこころ」そのもののような気がする。それはベースボールにはない。一方で、例えばサッカーの試合において、ゴールを決めたり、勝利を勝ち取った時にあげる雄叫びも、個人的には「美しい」と思う。西洋発祥のスポーツといえばそれまでだが、その根底には自己表現があるのだと思う。どちらかが正解でどちらかが不正解、またはどちらかが優れていてどちらかが劣っている、ということではないと思う。重要なのはその背景にあるものをしっかりと理解するということではないか。

 

 また日本人は欧米の新しい発想・基準などを取り入れることが多く、欧米に後れを取っていると考えがちだが、話題提供とその後のグループワークを経て、既に日本人が同じようなものを過去に既に実践していたというケースが数多く存在することを認識した。さらには、改めて自分達の先人の知恵に多くのヒントがあることも知った。聖徳太子の十七条憲法はその最たる例である。我々は、日本人であることにもっと自信と誇りを持ってもいい。この点においては勉強不足を痛感した。

 

 ウクライナ情勢・深刻化する環境問題等、今、世の中は混乱の時期の入り口に足をかけてしまっている気がする。何とか平和な時代が継続し、環境問題が改善の方向に向かうことを願わずにはいられない。様々な価値観がぶつかり合う現代で、「習合」にあらわされる「日本のこころ」が大きな役割を果たせるのではないかと考える。

 

 自啓共創塾を通じて、自分の意見をもてていない、自分の意見をもてるほど勉強できていない、と痛感した。「日本のこころ」をさらに深堀し、しっかり学びを進めたい。そしてそれをまずは自分の子供に伝えたい。その上でいろいろな人にも伝えていきたい。

 

 大変有意義な学びに参加させていただきましてありがとうございました。