第四期塾生最終レポート

中嶋夏月 今西宏之 鈴木大輝 吉田達 森本悦子


中嶋夏月

 禅、神道、華道、積み重なった道がきっと僕の命を繋いでいる、紡いでいる。僕が生まれたことをこの世に性を受けたことを教えてくれる、日本に何か恩返しをしたい。この生まれた日本に。

 

僕は死ぬということをとても大切にしています。人は、悲しいことに本当に大切なものは失って初めて気づくものです。親のありがたさ、健康、そして命。生の輝きは死の存在に依存すると思います。これまで剣道や禅などの日本の大切にしてきたものを学んできましたが、自分を忘れること、無我の境地、無慈悲の愛。この辺りに行き着くのではないのでしょうか?でも僕は、それは死を通して感じるものだと思っています。自分自身は存在しない。一生誰ともわかりあうことができない悲しい生命体であることを知る。生まれてほんの一瞬生きてそして死ぬ。確実に死ぬ。

 

 それを知ると、ああ、欲って消えていくんですよね。骨になるんですから。それが、自分を忘れさせ、無我になり、そしてこの世に何かを残したいという思いが無慈悲の愛を生み出す。

 

 だから難しいことはしなくていいんですよ。自分を忘れようと思ったら自然と瞑想をするし、森の中に入りにいくし、日本の培ったものに目をいく。それを逆にしているからおかしくなる。学ぼうという思いがすでに堕落している。いただいた命を使い切る。それぞれの使命に従って生きる。それだけでいいんですよ。きっと。

 

確かに、知識欲は強力ですよ。それ以外に性欲、睡眠欲、食欲、いろんな欲があります。それに従って生きることも大切です。でもきっとどっちでもいいんですよね。生きてもいいし死んでもいいし、頑張ってもいいし、堕落してもいいし、泣いてもいいし笑ってもいいし。

 

 だって人生はここまでかというほど意味がないのですから。


今西宏之

 日本を伝承し、創造していくために

 

 「世界のための日本のこころセンター」が主催されている「自啓共創塾」の講義に参加された方々は、立場や信条に差異はあるにせよ、日本の歴史・思想・文化・風土を重んじ、それらを学んだ上でこれからの日本と日本人の発展と隆盛に寄与したいと考えておられると私は解釈している。かくいう私自身もそうである。本稿では、「自啓共創塾」の授業のレポートという形を通じて、いかにしてこれからの時代に日本人が日本を伝承し、そして創造していくべきかを私なりの思想と方法論を持って叙述していきたい。

 

 現在、いわゆる「伝統工芸」を生業としている職人が自らの工房や屋号、あるいは商品の名称に平然とアルファベットを用いている場合が少なくない。また、非常に長い歴史と格式を持つ大寺院が施設の名称をアルファベットで表記する、あるいは催しの名称に英文を用いるなどの事例も昨今非常に多くなっている。

 

 これらのような事例が頻発しているのは、「観光」による文化破壊ももちろんあろうが、根底にあるのは、日本人自身が日本を見失いつつある、という事実であろう。和食を日本人自身が作らず、または食べなくなり、着物も日常生活では着ず、歴史ある景観や建物が次々と破壊されている。いわばフラットな「ニッポンジン」が生み出されつつある。

 

 その意味で今年の元旦に発生した輪島の地震は象徴的な出来事であった。日本の歴史的産業とその担い手である人々が多数居住する輪島は日本人にとってかけがえのない土地である。しかし、その輪島の復興を「無駄」であるとして切り捨てを是とするような言説が流布した。これは前述した「フラットな」「ニッポンジン」が生み出されつつあることと無関係ではないであろう。

 

 人間はどこまで行っても歴史的な存在である。集団であれ個人であれ、歴史が無ければ存在していく事は不可能である。私たちは今こそ、日本の歴史性に依拠し「日本人」として意志を持って生きていかねばならない。

 

 かつて、戦後日本を代表する批評家・劇作家・翻訳家として活躍した福田恆存は「保守とは横町の蕎麦屋を守ることである」という言葉を残したとされている。私たちは現代におけるかけがえのない「横町の蕎麦屋」を発見し、それらを守る営為を行わねばならない。そしてその営為は日本だけでなく、世界の発展にも大いに寄与するはずである。

 

 その営為とは具体的には何であろうか。例を挙げるならば地元の神社仏閣に参拝することであり、長い歴史的由緒を持つ種々の工芸品を購入して使うことであり、身近な祭礼や年中行事に参加することであり、武道や芸道と言った「道」を学ぶことであり、おにぎりを握ることである。

 

 普段どのようにして生活するか、この中にこそ本当の意味での思想や哲学の本質がある。この「自啓共創塾」で出会った方々、運営をして下さった「世界のための日本のこころセンター」の方々と連帯をし、本稿で記した営為を強く行っていくことを私は心から希望する。


鈴木大輝

 今回の自啓共創塾において、その時々のテーマについて学んだり考えさせられることは多々ありましたが、全体を通じて感じたことは対話の重要性です。対話が単なる情報交換の手段ではなく、相互理解を深めるための重要なツールであることを学びました。特に発言者の挙手制(指名制)により、相手の話をしっかりと聞いた後に自分の意見を伝えるという形式が採用されていたことで、相手の意見を尊重しつつ自分の考えを明確に伝えることができました。

 

 日本がこれからの世界・社会に立ち向かうためには、このような対話を通じた相互理解の深化が重要だと感じました。塾においては、相手の話を批判せずに受け入れる姿勢が強調されました。批判的な態度は相手の意見を封じ込め、対話を阻害する原因となります。一方で、相手の話を尊重して理解しようとする姿勢は、信頼関係を築く基盤となります。相手が安心して話せる環境を作ることで、より深い対話が可能となり、相互理解が深まります。これは人間関係だけに留まらず、不安定な国際情勢における国家間の繋がりにおいても重要な役割を果たすと思います。

 

 また異なる背景や価値観を持つ人々が共に生きるためには、対話を通じて相互理解を深めることが不可欠です。多様性と叫ばれる昨今ですが、肉体的・精神的なものだけではなく思考の多様性も認めることにより、社会全体がより豊かで創造的になるのではないでしょうか。特に環境問題や経済格差など現代社会が直面する課題に対処するためには、異なる立場や意見を調整し、共通の目標に向かって協力することが持続可能な発展のために必要だと感じます。

 

 テーマや話題については、塾生の方々の深い知識には幾度も衝撃を受け感心させられました。特に私自信の背景知識の乏しい歴史や経済の話題については、事前に予習をしたり提供できる話題を準備して臨みました。普段関わらない分野であったり学生時代に丸暗記した内容を改めて深掘りすることで、新たな発見や興味が湧くこともありました。未来を担う若者や子供たちに対しても、学びの楽しさを知ってもらうことで、次世代がより良い社会を築くための基盤を作ることができます。

 

 今回の自啓共創塾で学んだことを日常生活や職場で活かし、多方面への興味関心のアンテナを高くしつつ、より良い対話を心掛けていきたいと思います。


吉田達

  これまで自分が書いた事前レポート、チャット、ふりかえりの内容を全て読み直してみました。改めて、これまでの考えの見直しを迫る様々な発見があったことを確認する共に、それぞれのテーマが繋がって一つの像を結ぶほどには深めきれていないことも確かで、今後更なる研鑽が必要だと実感しています。

そんな中で、敢えて以下のテーマについて述べるとすると

 

1.これから先どのような世の中にしたいか。そこに日本のこころはどう貢献できると考えるか。

 

 地球上の全ての人々の共通の課題となるのは「これ以上の地球温暖化・生態系破壊の阻止」と「覇権主義に基づく戦争の根絶」でしょう。この課題が「日本のこころ」だけ解決し得るとは思えませんが、前者については「自然との共生、環境全体との調和を重んじるこころ」が、そして後者については「憲法前文で示された、性善説に基づくこころ」が貢献し得ると考えます。

 

 憲法前文より「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

 

2.そのために、自分がこれから、または、将来取り組んでみたいこと。

 

 実は先日Active Book Dialogue®(※)という手法を知り、その対話会を開催するファシリテータの認定も受けました。これまでは企業にお勤めの方を対象にした研修(テーマはマネジメントスキル習得、リーダーシップ開発、イノベーティブな組織作り等)を自分の仕事にしていましたが、これからはここ京都で、市内に住む学生や若い世代の社会人を対象に、今回の塾の参考図書を中心に「日本のこころ」に関する理解を深めるための読書会を継続的に開催し、自分の学びも深めていく活動を始めていこうと考えています。

 

※Active Book Dialogue®

 京都在住の竹ノ内壮太郎氏が開発した新しい読書手法。1冊の本を分担して読んでまとめる、発表・共有化する、気づきを深める対話をするというプロセスを通して、著者の伝えようとすることを深く理解でき、能動的な気づきや学びが得られる。


森本悦子

  自啓共創塾の扉を開いたのは、幼なじみから勧められたというほんの些細なきっかけでした。

 

 日本の心?武士道?最初は、戸惑いの方が大きく、何を得ることができるのか半信半疑でしたが、一方、年代やバックグランドの異なる仲間たちの発言は、借り物ではない真に自分の「ことば」に言語化されていることに衝撃を受け、自分の言語能力の拙さを落胆しつつも、同じレベルで議論に加わりたいという目標設定ができました。

 

 すると、自分なりに問いを立てるようになりました。今、私の周りにはたくさんの「問い」が溢れてます。かつては,問いの正解は教科書や専門書の中にありました(と思っていた。)が、今、私の周りにある問いには正解がありません。刻々と変化する日々に書き物では追い付かないからでしょう。「問いを立て、向き合い、答えを見つける旅。そんな旅を楽しむこともアリではないか!」、自啓共創塾で学ぶ前と今の心の変化です。

 

 私は、社会の中で豊かに生きていくために必要な力に「コミュニケーション力」と「想像力」を挙げます。自分自身の行動や言動を第三者がどう受けとめるかを想像し、豊かに関わっていくために必要な能力で、数値では標準化されない「生きる力」だと考えるからです。

 

 「自啓共創塾」、自らを啓き、共に創る。「生きるために学ぶ」のではなく、「学ぶために生きる。学ぶことは共に生きること」、相変わらず言語化は不得手ですが、自ら問いを立て、深く熟考し、答えを模索する豊かな学びと言語能力の伸び代(!)に気づきを得た貴重な経験でした。

 

 事務局の皆様、同期の皆様、ありがとうございました。