第四期塾生最終レポート

小池陽子 大塚翔太 中村純子 松山亜弥 虻川大


小池陽子

1.これまでの学びと気づき

 

●日本型リベラルアーツに振れたことでの学びと気づきは、大きく以下3点。

① 物事の表層に捉われず、根底にあるものや原理原則を追求することが肝要

② いわゆる“専門馬鹿”になることなく、関連事項や周辺から紐解かれるところに真実が内在する

③  “歴史は繰り返す”という言葉にある通り、歴史を学ぶことが現在を理解し、未来を見通す力につながる(=「原点回帰」)

 

2.学びや気づき生かした自身の行動

 

●有史以来、道具の使い方は前世代から次世代にモラルや注意事項とあわせて伝えてきたものが、インターネットやスマホ、AIなどは次世代が圧倒的な柔軟さで使い方を獲得し、前世代を追い越してしまったことが旧来型の社会性や人間関係の破綻の虞を生んでしまっているように思う。あと10年も経てばこの逆転現象はある程度解消されるのではないかと思いつつも、前世代が敬われるような(=「薫陶を受けた」と次世代に思ってもらえる)強みが必要で、歴史や思想への深い知見、幅広い事柄への知識を持てるよう、書籍や現地現物からの情報収集を積極的に行いたい。

 

3.どういう世の中にしたいか

 

●話は変わるが、「無能」を作るのは周囲の責任だと思っていて、「お前は能力がない、何もできない」「何でこの程度のこともできないのか」と責められ続けると、自信を無くして本当に何もできなくなってしまう。翻って、期待をして、任せれば、相応の結果を残し、それが自信となって立ち居振る舞いも変わってくる(=「立場が人をつくる」)。戦国時代や明治維新の際に、「人物」が多数生まれたのは、前世代が、そして社会が若い世代に大きな期待を寄せ、思い切った権限を持たせたからではなかろうか。

 

●今の日本、とくに大企業や役所、歴史のある業界を見ていると、バブルを謳歌し、その崩壊後、経済的・社会的に再構築されていく中で、30代前半で大きなチャンスをつかんだ50代が未だに第一線で活躍し、若手にその能力を超えるような困難な仕事へ挑戦させてみたり、大胆な権限移譲によって腹をくくらせるような経験を提供したりといったことがなくなってきた(昔は課長代理が一番忙しく、組織の取り回しをしていたのが、少し前は課長がそうなり、今は部長がその役目を担っている)。反面、「若手が育たない」と嘆いているが、それは若手の責任なのか、若手に期待せず任せない上司側の問題なのかというと、結局、自分が責任を取らなければならない中で、若手に任せる度量を失い、かつ、自分が楽しい仕事で輝き続けることを選んでいる上司側の“罪”ではなかろうか。

 

●「昔は良かった」と回顧するだけではなく、「これからの日本や若者が心配」と嘆くのではなく、ちゃんと良いところを見て、期待して、責任ある仕事を任せることで、次世代が楽しそうに、輝いて生きている日本となることが理想である。


大塚翔太

(課題意識)

 

 行政に籍を置く身として、経済成長が鈍化し、社会問題が山積する中では、これまでのような「行政が施策を考え、住民がそれを受け取る」という形態には限界が来ていると感じることがあります。

 

 理想主義かもしれませんが、数々の困難がある中では、住民と行政が一緒になって、長期的視点に立って我々が住む地域の将来像(理想像)を考える必要があり、それが本来あるべき行政の姿ではないかと感じていました。

 

 そのための第一歩としては、住民が自分たちの意見が反映(尊重)されていると感じることが重要ですが、一方で行政としては公益性も十分に考慮する必要があります。行政と住民の対話は、最初は立場や主張のぶつかり合いが発生し、労力の大きい作業になるかもしれず、そのリスクがいわゆる住民対話と呼ばれるものが敬遠されがちな原因ではないかと思います。

 

(自啓共創塾を通して)

 

 しかし、自啓共創塾を通じて、それを乗り越える力(=日本のこころ)を我々は無意識のうちに受け継いでいると感じました。異なる意見を持つ相手を打ち負かすのではなく、異なる意見も否定せず包含する姿勢や、利他の姿勢を持つ我々は、本来は立場や意見を超えて集団で何かを作り上げることに長けているはずです。

 

 加えて、神仏儒の習合に見られるように、我々は新しいものを受け入れる寛容性を有し、受け入れたものを習合し、必要に応じてローカライズ(和魂漢才化、和魂洋才化)する形で取り入れ、その時々の困難を乗り越えてきた歴史があります。

 

 一般的に行政は内向きになりがちであり、課題への対応(施策)についても定型的になる傾向がありますが、(自啓共創塾のように)異なるバックグラウンドを持つ人間(住民)が集まることで、思わぬ課題や思わぬ解決の糸口が見つかる可能性もあるかと思います。現在のような困難な時にこそ、日本のこころが力を発揮できるのではないかと感じます。(特に将来を見据えた議論を行う際には、将来の受益者となる若年層に参加してもらうなど、世代を問わない対話が必要です。そのような場は日本型リベラルアーツにも通じるものがあり、次世代の育成にもつながるのではないかと思います。)

 

 このように、日本のこころをベースにして住民対話の取組みを始めさえすれば、行政と住民との関係は時を経るごとに洗練されていき、労力も少なくなる一方、課題解決力の向上や将来に希望が持てる社会につながっていくものと思い、今後、小さな取組みからでも始めていきたいと思います。

 

 このように、新たな行政の在り方に多くの示唆がある研修でした。ありがとうございました。


中村純子

 今、地方は切り捨てられようとしていると感じる。少子高齢化が進み人口も減って、経済も縮小していく中、そんな不便で人の少ないところに回すお金の余裕はない、というわけだ。その象徴的な例が能登半島だ。財務省は「維持管理コストを念頭において復興を」と提言した。地方の切り捨て、コスト削減ありきがにじむこの姿勢は、同じ半島である我が和歌山県にとって、とても人ごととは思えない。

 

 不景気な話が多いなか、元気いっぱいなのが観光だ。コロナが明け、安価で治安のよい日本に続々と外国人観光客がやってくる。一般庶民には到底手の届かないような価格のサービスが提供され、バブルさながらのインバウンド景気だ。住民の暮らしが成り立たないほどに観光客が集中する地域もある。経済成長のためにはインバウンドだ、とどこの地方も呼び込みに躍起になっている。しかし、住んでいる人よりも観光客の数の方が多いその土地は、果たして日本の観光地なのだろうか。欲望だけに引きずられ、大事なものを見失ってはいないか。日本の風土と自然との調和のなかで育まれてきた「日本のこころ」は、本質的に大事なものは何かを考えるにあたっての指針になると思っている。

 

 観光は「光を観る」と書く。もともとは、その国の人々の暮らしを観察し、それを持って統治者を国賓として遇するに値するかを見極める、というのが原義だそうだ。「光」とは、地域の自然、文化、人の暮らしの営みそのものではないか。地域で豊かに人々が暮らしているからこそ、自然や文化が守られているのであり、各地に人の息づかいがきらきらと輝いているからこそ、世界中の人々を惹きつける魅力になる。行き過ぎた都市への一極集中のベクトルを逆に向け、地方の誇りを取り戻すために「観光」を再定義していきたいと考えている。


松山亜弥

古の知恵が照らす未来への道

 

 目を閉じて、未来の世界を想像してみる。

 

 そこでは、人々がそれぞれの花を咲かせている。どんな花も美しく、比べられることはない。成功も失敗も、すべてはその花を彩る個性。誰もが自分の可能性を信じ、自分らしく生きている。そんな世界を、私は夢見ている。でも、そのためには、どうしたらいいのか?

 

 私たちは、もっと五感を研ぎ澄まし、世界を多角的に見る、それが大切になってくると思うのです。まるで、一枚の絵を見るように、全体を捉え、細部にも目を凝らす。そして、時には視点を変え、新しい発見を楽しむ。

 

 AIが進化する時代だからこそ、『人間らしさ』を見つめ直す必要があります。心の奥底にある温かさ、優しさ、思いやり。言葉では言い表せない、人と人との繋がり。これらは、古くから日本人が大切にしてきた価値観であり、心のあり方。長い歴史の中で、日本人は自然と調和し、互いに助け合い、感謝の気持ちを忘れずに生きてた。それは、まるで、美しい tapestryのように、生活の中に織り込まれている。

 

 今こそ、先人たちの知恵を再認識する時だと感じる。そして、その知恵を、世界中の人々と分かち合う、そんな時が来ている気配をここ何年か感じている。押し付けるのではなく、語りかけるように。

 

 「人は、もっと優しくなれる。もっと強く、そして美しくなれる」と。

 

 そのためには、まず私たち日本人が、自分たちの文化が持つ美しさとしなやかさに気づくことが大切。そして、その心を世界に発信しながら、日々の生活の中で体現していく。現在生業としている研修や講演会、そして、書物という機会も十二分に活用して伝えていきたい。それは、小さな灯火かもしれない。でも、その灯火が、いつか世界を照らす大きな光になる可能性を持っている。

 

私がこれから取り組むこと

 

 日本人が自信を取り戻せるよう、日本の文化や心の在り方について、わかりやすく伝えていく。

研修や講演会、書物を通して、心のこもったメッセージを発信していく。

 

 日本の知恵を世界に共有するため、英語での発信にも力を入れていく。

 

 この物語が、世界の人の心に響き、未来への希望を感じて生きていく人が増えたら嬉しい。


虻川大

 世界のため、日本のこころ - 今の自分が思うこと -

 

 セミナーを通じて「世界のため日本のこころ」というテーマを考える機会を得ました。日本のこころ」と聞いて、私はまず「和」の精神を思い浮かべます。それは自然との調和や他者を思いやる姿勢、そして調和を大切にする価値観です。これらは日本の伝統や文化に根付いており、現在も私たちの生活や考え方の中に息づいています。一方で、現代社会の中ではこれらの価値観が形骸化しつつある側面もあると感じています。

 

 しかし、私は「日本のこころ」は変化を受け入れる柔軟性も持ち合わせていると考えます。例えば、アニメや食文化、あるいは日本の工芸品が海外で愛されているように、古い伝統だけでなく新しい形で「日本らしさ」が広がっているのを感じます。こうした「進化する日本のこころ」は、私たちがこれから世界と向き合っていく上で重要な役割を果たすのではないかと思います。

 

 セミナーを通じて議論された「日本が世界に何を伝えられるか」というテーマについて、私が考える答えは、「細部へのこだわり」と「他者を尊重する姿勢」です。日本人は仕事においても日常生活においても、小さな部分まで配慮し、相手を思いやる態度を自然と持っています。これが世界で日本が信頼される理由の一つだと感じます。ただし、これらの美徳が行き過ぎると、「完璧主義」や「周囲に合わせすぎる文化」といった課題を生むこともあります。だからこそ、相手の価値観を受け入れる柔軟性を持ちながら、自分たちの強みを活かしていくことが重要だと考えます。

 

 私たち一人ひとりが「日本のこころ」を意識し、それを日々の行動の中で表現することが、結果として世界に良い影響を与えるのではないでしょうか。例えば、普段の生活の中で「感謝」を言葉にして伝えたり、環境への配慮を心掛けたりすることは小さなことですが、それ自体が「日本のこころ」を体現する行動になると思います。

 

 セミナーを通して感じたことは、「日本のこころ」は固定的なものではなく、常に変化しながら受け継がれるものであるということです。私自身も、自分がどのような形でそれを体現し、世界に発信できるかを考えながら行動していきたいと思います。