横山邦紹 藤谷仁美 名倉大輔 三橋知子
横山邦紹
―日本のこころで挑む調和と倫理観で築く持続可能な未来―
現代社会は、地球温暖化、資本主義の課題、グローバル化の影響など、多くの危機的な課題を抱えています。これに立ち向かうために、日本の「和の精神」と深い倫理観が果たす役割は大きいと考えます。本塾での学びを通じ、日本の歴史や文化から得た教訓が、未来社会の構築にどう活かせるかを深く考えました。
これから先、私が目指す社会は、失敗を恐れず挑戦できる寛容な社会です。振り返りの中で、社会や組織が「失敗を避ける文化」に縛られている現状を痛感しました。たとえば、上司が部下に失敗させないために過干渉する職場環境や、親が子どもにレールを敷いてしまう家庭環境が挑戦の芽を摘んでいます。日本の「和の精神」は、他者と協調しつつ、失敗を成長の一環として受け入れる力を育む土壌となります。この精神を基盤に、「挑戦を学びと変える文化」を社会に浸透させることが、日本のこころが果たすべき役割だと考えます。
また、AIやテクノロジーが急速に進化する現代において、倫理観の重要性が増しています。AIは無限の可能性を持つ一方で、倫理的な配慮が欠ければ社会を分断するツールにもなり得ます。本塾で学んだ「技術は人間のツールであり、人間がそれに使われるべきではない」という戒めは、現代の技術活用において重要な指針です。日本の「見えざるものが見えるものを動かす」という哲学的な考え方は、テクノロジーと人間性の調和を目指す上で欠かせません。
これらの課題に対応するために、私は二つの取り組みを行いたいと考えています。一つ目は、教育を通じた挑戦の価値の普及です。特に、学校や職場で「失敗から学ぶ」をテーマとしたワークショップを開催し、挑戦を恐れない人材を育成することを目指します。二つ目は、持続可能な経済モデルの構築です。日本の「足るを知る」精神を基盤に、エシカル消費や地元産業の活性化を促す活動に取り組みたいと考えています。たとえば、伝統工芸品とデジタル技術の融合による地域経済の活性化は、環境保護と文化継承の両立を図る可能性を秘めています。また、社会貢献活動として取り組んでいる語り部の経験を活かし、戦争の歴史やその背景を広めることで、平和意識を醸成する活動も継続していきたいと考えています。
未来を見据え、日本のこころが持つ価値を再確認し、挑戦と倫理が尊重される社会を築くことが、私たちの果たすべき使命です。私はこの学びを基に、自ら行動を起こし、持続可能で調和の取れた社会の実現に貢献したいと考えています。
藤谷仁美
これまで『日本のこころ』を学んできた中で、ご著書に示された15の視点をもとに「融合」と「習合」の歴史や事象を振り返ると、過去から現在に至るまで、異なるものを排除するのではなく、取り入れ、認め、共存させる力が日本文化の根底に流れていることがわかります。“極”に思えるものや、光と闇のように対立するものさえも習合、融合させる精神を持っていたからこそ、これまで成し遂げられてきたことがあるのだと感じました。
特に、第九章に記されていた以下の言葉に触れたとき、私が日本や日本文化に惹かれるポイントが言語化されており(個と全体の関係性を重視する、呼吸と一体化した身体的活動を重んじる、人間は自然の一部である、熟成、用の美、間、立場の尊重、見えないところへのこだわり、気を合わせる、道(精神的プロセス)など)その学びを通じて『日本のこころ』と自分自身のつながりを強く感じ、“ある”という希望(自分が生まれ育ったこの国の素晴らしさ)とともに“誇り”と感謝の気持ちが湧き上がってきました。
VUCA(不安定、予測困難、複雑、多様)な時代、柔軟性と適応力が求められる今、この『日本のこころ』の学びに込められた、過去の人々から受け継がれてきた叡智は、現代に生きる私たちにとっても非常に重要であり、未来へと繋がる力を持っていると確信しています。これからは、単なる画一化や標準化を目指すグローバリズムではなく、世界や日本、そして人々や文化の違いを認め尊重し合い、共栄していく、そのための出発点として、『日本のこころ』に触れ、理解を深めた人々が、よさを感じ、自分の中にもその精神が流れていることに気づき、そのことで一人ひとりが生きることに誇りを持てる、互いを認め合う社会、世界が広がることを願っています。
その実現のために、身体性、感性、直観、人間力を育む『日本型リベラルアーツ』を多角的に普及させることに貢献したいと考えています。私が関心を持つ、教育、地域活性、旅、食、自然、伝統、文化、健康…これらと『日本のこころ』が融合し、様々な世代が共にプロジェクトを考え、アクションを起こすことで、次世代が自らの手でその精神を今度は未来へ繋げてくれますように。私自身もその循環の源となれたら嬉しく、次世代にバトンを渡していく役目を担いたいと思っています。
名倉大輔
神・仏・儒の習合を「禅」から学ぶ
私はこの塾で初めて「神・仏・儒の習合」という概念に出会いました。それまでは、神道・仏教・儒教といった宗教が、それぞれ独立して存在していると何となく考えていました。それぞれが教義を持ち、信者や活動がある一方で、どこか自分には縁遠いものだと感じていました。
しかし、塾での学びを通じて、神・仏・儒が習合しているという日本独特の考え方に触れることができました。この習合は、矛盾するものを優劣なく受け入れ、調和を図るという「日本のこころ」の象徴だと言えます。それは、日本人が古代から持つ潜在的な能力であり、私自身にも宿るものではないかと気づいたとき、大きな喜びを感じました。
宗教という狭い枠組みにとらわれず、「日本のこころ」を持つことに誇りを抱きました。この心は、神の国・自然の国としての日本に生まれた私たちが、多様性を受け入れ、変化に柔軟に対応する精神的な基盤を築く力を持っていることを示していると考えます。そして、私はこの気づきを大切に、精神の基盤をさらに強くしようと決意しました。
その第一歩として、「禅」についての学びを深めます。単なる知識としてではなく、例えば禅道場での実践などを通じて、目の前の課題に真摯に向き合う経験を重ねたいと考えています。禅を通じて得られる小さな叡智のひらめきや感受性の豊かさを、日々の行動に活かしていきたいと思います。さらに、身近な人々の立場を思いやり、行動することを心がけ、一人の人間として視座を高めながら、組織や地域社会の発展に貢献する行動を続けていきます。
具体的な行動についてはまだ模索中ですが、まずは現職において自分の役割を全うし、従業員一人ひとりが働きがいや誇りを持てる職場環境を創出することを目指します。そして、地域社会や次世代の子どもたちに対しても、積極的に行動を起こせる人間になりたいと考えています。
最後に、この貴重な学びの場を提供してくださった事務局の皆さま、講師の方々、そしてダイアローグを通じて意見を交わしてくださった塾生の皆さまに心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
三橋知子
先日、『小学校〜それは小さな社会〜』という映画をみました。イギリスと日本に由来を持つ監督が自分らしさとは何かを考えていくうちに、自身が日本で過ごした小学校時代に学んだ「規律と責任」に由来することに気付き、現在の公立小学校を取材したドキュメンタリー映画なのですが、それをみながら日本人“に”どのようになってゆくのかについて非常に考えさせられました。日本の教育の特色は「生活も教育の対象」ということで、掃除、給食、と生活に関係することも自ら行わせ教育に内包するのは世界でも珍しいようです。そして、「社会と個人の関係の中でわたしがどうあるべきか判断することを学ぶ場所」として小学校が描かれていました。集団性の強さや協調性の高さが日本の特色である一方、諸刃の剣であり、いじめのもとにもなりうるとのこと。間(あいだ)に囚われすぎると思考停止に陥りかねない。
関係性や間を重視する国民性についてはこの塾でも学んできたことでありますが、その感性を私自身はこれからも大切にしていきたいと思います。思考しながら試行錯誤し間を創りあげていく、そんな未来にむかうためには異世代での対話や、そもそもそんな小難しいことを言わず同じ場で時を共にし、共に在ることが大切なのではないか。
改めて、場を整えること、食事を調えることから始めてみようと考えています。